湯浅です

ふぬけ共和国さんの「80年代にひたりたくない!」より
http://funuke01.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/80_b3c4.html

だが私の個人史としては、「少年キャプテン」が出てきた頃はもう確実に何かが終わっていたのである。

私なんぞはその『キャプテン』(しかも末期)に文化の香りを感じていたりして。でも同級生(上級生も含めて)が『ジャンプ』やら「あかほりさとる」に熱中していた中で『キャプテン』を読んでおけば「差異」を作り出すことができたわけで。そういう意味では甘やかされて育ったのだと思う。

80年代に「分衆」「少衆」という言葉が流行ったらしいのだけど、90年代はメガヒットの時代で。なんであんな不況下に小室哲哉やら『ジャンプ』やらがバカスカ売れたんだろ?そういう中で「マイナー」とか「サブカル」を気取るのは簡単で。努力なしに捻くれることができるといいますか。「あかほりさとる m9(^Д^)」といっておけばそれは批判になったのだし、「それって強さのインフレじゃん」といっておけば少年マンガはぶった切れた。

オタク第三世代的怠慢はここら辺りが原因なのかもなあ。でも自分の先輩連中もロクにマイナーな人間がいなかったよなあ、とマイナー文化継承の失敗を彼ら先輩方に押し付けるべきなのか。

ところで私は古本屋でバイトをしているんだけど、『ドラゴンボール』『スラムダンク』の大型本(しかも中古で600円)がとてもよく売れるんだわ。しかも買っていくのはガキとリアルタイムで読んでいた年恰好の人間。こういうガキどもの存在は不気味で、なんか失敗したなあ、と思うんだけど、リアルタイムで読んでいた年恰好は許せないんだよなあ。「おまえらはまだそんなトコをうろついてんのか!」と。勿論この言葉はイージーな私にも突き刺さるわけで。