弱気日記

http://www.manga-g.co.jp/interview/int2004/int04-03.htm
土山しげるは『COM』に持ち込んだことがあったそうな。それでイロイロあって現代に至る、と。
団塊の世代的保守化とかなんとかいってしまえばいいんだろうけど、でも待てよと。
マンガは保守というものを受け入れられるものなんかね?
いや、マンガに人はなぜ保守というものを持ち込んだのか?
保守というか、現実というか、大人というか、伝統というか、美しい国というか。
「俺はトンガルのを止める。明日からは普通に生きる」と判断して、なぜ彼らはマンガをやり続けたのか?
批判しているわけじゃないんだ。なぜ「大人が読みうるマンガ」があるのか?ってことで。
そしてなぜそれが実現したか?ってことでさ。


安倍(バカ)くんは『三丁目の夕日(夕焼けの詩)』がお好きなんだそうで。これの連載開始は1974年。コミケが開催される前年だわな。西岸良平と同世代の萩尾望都トーマの心臓』を描いていた頃だ。ついでにコミケと「ぐら・こん」とは浅からぬ関係があると聞くし(詳しくは知らない)、そして西岸良平も『COM』で描いていたことがあるそうな。

『ゴー宣』によれば西部邁は「マンガを読むのは家系の恥」と言ったらしい。その西部邁小林よしのりとの対談で、『じゃりン子チエ』は読んでいたと告白(?)している。

じゃりン子チエ』に注目が集まった時代と、いわゆる「ニューウェーヴ」が活躍した時代とは、合致すると思う。はるき悦巳が大阪の下町を描いていた雑誌の別冊では、大友が『童夢』であのマンション郡を描いていた。

ここら辺りで滝田ゆうの話をすればいいのかも知れないが、よく知らない。
柄谷行人は『反文学論』で滝田ゆうを少しだけ取り上げていたと思う。)

オタク第一世代という人々は、十代後半から二十代にかけての敏感で尖がっていた年齢に、このような状況を見ていたのだと思う。
圧倒的に影響されたとも言えるだろうし、対抗すべき人々と思っていたのかも知れない。彼らはその為に様々なものを召還した。

その文脈が忘れ去られたことが「オタク・イズ・デッド」ではないか。
その文脈が忘れ去られたとすれば、今日的な保守も変質したといえるだろう。

「保守・イズ・デッド」?