アニメのハルヒの感想2とセカイ系(ただし憂鬱Ⅳまでの感想)

部室でオセロをやるシーン。電気ポットでお茶を飲むシーンがよい。そうなんだよな。なぜか部室にはオセロやら茶碗やらが置いてある。おそらく先輩の誰かが遠い遠い昔に部室に持ち込んだヤツだ。なんとなく使っている「オセロやら茶碗」だけど昔持ち込んだ先輩はそれなりの意図を持って持ち込んだに違いない。少なくとも「オセロやら茶碗」を使っている私達はこの偉人に少しぐらいは感謝している。

ところで誰がSOS団の部室に「オセロやら茶碗」を持ち込んだのだろう?

昔の文芸部?まさか。だったら一話あたりのシーンで電気ポットや冷蔵庫が登場しているはずである。

ハルヒが持ち込んだ?いやおそらく違う。だったらそれ相応のエピソードが存在するはずである。PCを手に入れる時のようなエピソードが。
PCは彼女にとって必要なものなのだろうが、「オセロ」は不要だ。ハルヒが「妄想」よりは「部活」を本当は重視しているなら、「オセロやら茶碗」を持ってくるシーンがあってもいいだろうに(俺が見落としているだけかも知れんが)

では「オセロやら茶碗」はどこからやって来たものなのだろう?設立されたばかりのSOS団において「オセロやら茶碗」は自然に存在するものではない。そして設立当初の部(サークル)において「オセロやら茶碗」を持ってくるのは一つの重要なエピソード足りうるはずである。

「部活」と「妄想」が直結していることをもって「セカイ系」と呼ぶならばハルヒセカイ系だろう。

さてこのセカイ系において「部活」は「部活」足りえているだろうか?「部活」感があるのはわかる。でも茶碗を洗うようなシーンがなかったり、誰が使ったのかもわからない茶碗を自然に使ってしまうような描写にはリアルさを感じない。どこかで身辺の雑事をすっぽかしているような気がする。

「政治」やら「世界」に「部活」や「妄想」を叩き付けるという方法があると思う。「政治」的もしくは「世界」が描けていることをもって良しとする評価基準がスタンダードであるならば、「部活」や「妄想」を描くことは邪道であり、そして邪道であるが故の緊張と、「政治」やら「世界」の緻密さに対する別の緻密さを持つはずである。

ハルヒ』は少しそのことから離れている気がする。

「部活」と「妄想」を描いているはずの、いましろたかしデメキング』がセカイ系と呼ばれていないことに注目してもいいかもしれない。

セカイ系」と唱えているうちに、私たちは「世界」だけではなく「部活」も「妄想」も失っていないだろうか。それこそがセカイ系かもしれない。

ハルヒの妄想の全てを私はまだ見てはいないのだけども。