さよなら大日本

・高校の必修科目履修漏れ
毎日新聞の在日記者「朴鐘珠」が天皇皇后を佐賀に呼ぶなと知事にかみつく」
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.youtube.com/watch?v=xBvWHz5oYX0
北朝鮮の核装備


なぜこの三つが並列に語られているのだろう?どれが一番議論すべき事件か明らかだろうに。「倒錯はファシズムへの抵抗だ」と斎藤環は言ったという。ならばファシズムがやってくる日は遥かに遠い。2ちゃんねるニュー速ヘッドラインで誓ったあの約束はいったいどこにいったの?などと湿ったことを思いながら美術館に行ってきた。

中ハシ克シゲ展 ZEROs−連鎖する記憶−(http://www.biwa.ne.jp/~sg-kinbi/exhibition/exhibition_now.html)を観てきた。

写真で作られた、ひしゃげたゼロ戦はなかなか圧巻だった。同様の方法で製作された特攻機桜花もよかった。でも「桜花」「ゼロ戦」は同列に語りえるものなのかね?片や栄光の戦闘機、片や汚辱にまみれた特攻機。評価は逆転されることがあっても(例:ゼロ戦は実は大した戦闘機ではない。桜花は空対艦ミサイルの元祖。)、ゼロ戦も特攻に使われたわけだが、同列には語れないだろう。

ひしゃげたゼロ戦を形作っているのはゼロ戦のプラモデルを接写した写真であるらしい。製作者は「ぼくら世代のゼロ戦はプラモデルだ。」とでもいいたいのだろう。でも現代はプラモデルの時代ではない。中国で、農村からでてきた職工が、それこそ人海戦術(一種の特攻?)で作り上げたフィギュア・食玩こそが、現代である。サブカルチャアの栄光を眺めているだけの自分のような人間には、プラモデルも、ゼロ戦が属するような、栄光の一種である。

とかわけのわからんことを思っていたらこんなのを見つけた
http://www.workshopstudio.net/shinden/shinden_say.htm

震電」焼却イベント中止のおしらせ。

福岡市環境局より、産業廃棄物処理法上の「野焼き行為」と区別ができないという
ご指導を受けましたので、 予定しておりました8月15日の震電焼却イベントは、
残念ながら一旦中止することとしました。

役所ごときに「野焼き」呼ばわりされる今日の「美術」ってのは嫌いではない。いや、大好きです。間に合わなかった伝説の戦闘機「震電」のひしゃげたレプリカのプロジェクトがこんな形で頓挫するのは、なんとも「美術」的だと思いませんかね?こういうアクシデント込みなら、このプロジェクトは成功だと思います。

神風が吹いた、みたいな。