やっぱりなかった南京大虐殺

mixiナショナリズム系のコミュに参加している。安倍と統一教会の関係についてのコミュ住人の反応は


① 統一教会は所謂カルトである。

② ①の大前提にたって、安倍擁護の姿勢をとる。例えば仕方なく付き合っているだとか、安倍は利用されているだけだ、とか。


なんだかこのような議論を聞いていると、左翼におけるスターリンやらボルシェビキの取り扱い方ににているような気が。よくわからんが。「ボルシェビキと付き合わないことには活動できない」「スターリンを排除すれば共産主義は健全だ」みたいな。よくわからんけどね。


気分はもう戦争』ってマンガに以下のような台詞がでてくる

「いいかよく聞きゃあれ! 俺は好きこのんで戦争しているんだ あんたらと一緒にしねェでくれ!」

要するに「政治」に対して「趣味」を置くことがクリティカルだった時代があるわけだ。いうまでもなく現代はそんな時代から遠くの場所にある。

右翼(ウヨク?)の「政治」偏重の姿を人は笑えるだろうか。左翼にしても、構造主義が展開したある種の価値相対主義をどこら辺りに置いてきたのだろう。『ゴーマニズム宣言』も「つくる会」も流行ったが、その裏ではポスコロやらカルスタだって流行ったじゃないか。

ここらあたりで西尾幹二がいう「小さな意見の違いは決定的違い」
http://nishiokanji.com/blog/2006/09/post_374.html
http://nishiokanji.com/blog/2006/08/post_373.html
ってエッセイが現実を切り裂けるものとなるだろう。もう一度議論を整理し、過去を歴史化して、あれこれめんどくさい(「政治と文学」とか)と正面から組み合わなければならない、と。

きょうはデタラメばかり書いた。もっと勉強しよう(´・ω・`)