ダヴィンチ行動

http://tadasukai.blog58.fc2.com/blog-date-20060510.html
これを読んで西尾幹二藤岡信勝という人間が信用の置ける人物であることを再確認した。両先生こそ「自由主義」を掲げるのに相応しい。

教育基本法」問題で私が一番腑に落ちなかったのは「宗教心」というキーワードである。もし人に「歴史認識」というものがあるのなら、この言葉は最も嫌悪すべきものである。現代の言説、所謂「右傾」的言説の根底には90年代の「オウム事件」「酒鬼薔薇事件」の経験が生きている筈である。「共謀罪」云々には「オウム事件」という経験があるし、「少年犯罪」云々には「酒鬼薔薇事件」というものがある。二つの事件に共通しているのはその宗教性である。

オウムは新興宗教だったし、酒鬼薔薇は内面に自分だけの神を作り出すことによって犯罪を犯した。日本国民であるならこの事件を覚えているはずだし、その経験があるからこそ現代の言説というものが存在しているのである。でも何故かここにきて「宗教心」を持ち出すのだから訳が分からない。それも「歴史」やら「国民」やらを掲げるようなヤツラが、である。「心のノート」だって聞きようによっちゃあ酒鬼薔薇聖斗丸出しじゃねえか。

つくる会」にはキリストの幕屋が関わっている、というような批判は「宗教心」を嫌悪するはずの「右傾」的言説に対しては有効である。ならばそれはどこら辺まで有効なのか。有効であると信じたいのではあるが。(ついでに言っておくが「つくる会」にはキリストの幕屋が関わっている、というような批判は「つくる会」や「右傾」的言説がキリストの幕屋以外の人間、いうならば普通の人間によって担われた部分があるということを隠蔽することにも繋がりかねない。)

と、左翼的なことを書いてしまった。でも民間レベルじゃ共産党も宗教だからね。うちの近所には幸福の科学に入信しながら共産党を支持するおばさんがいる。うわあ。

西尾幹二ニーチェを勉強した人だし、藤岡信勝共産党を棄教した人だ。「国民」的運動は彼らによってこそ担われなければならない。