パスカルの蒸れ

きょうも特に何もないのですが
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060314-00000154-mailo-l27
だそうですぜ、左翼の旦那様方。

私は「24年組」を中心とする少女マンガの巨星群や、彼女らに圧倒された諸々のマンガ家の作品をダラダラと読んでいるのだけど、今日の少女マンガには全く興味がわかない。最近、知り合いが褒めていたよしながふみ『愛すべき娘たち』を読んで感動したのだが、これは少女マンガではないわけで。だから少女マンガの規制といわれても、別になんとも。「表現の自由」の重要さは理解できる。規制によって少女マンガが復活するはずがない事もわかっている。でも最近の少女マンガの処理の仕方も、読み方もいまいちわからない。

「エロ本を子供に読ませない」「公的な場所にエロ本は置かない」というような日常感覚(道徳)と政策決定とは別のものである。またこのような考えは近代的なものであると思う。しかし一方で政治とは無関係で日常に囲まれて生きていた人間が、政治に関われるようになったのも近代である。(最近、中島岳志ナショナリズムと宗教』を読んで色々と考えさせられた。んんー。)このややこしい二つの考えに挟まれて血反吐を吐き散らしたのが我らが大日本の近代史だと思うのだが、まあ、大阪人にいうてもはじまらない。