君が壊れた

メガネ男子というとアレか。小学6年の修学旅行で「お風呂でからかわれないように」と陰毛を剃っていったはいいが、いざ入浴になると色黒のガキ男子が陰毛が生えていることを自慢しだしてクラスのヒーローとなってしまい、その裏で「どうせ僕なんか」と思っているヤツのことか。違うか。あー、アレだな。岡崎京子とか永野のりこのマンガに出てくるテクノとか現代思想に詳しそうなガキのことだな。「ボクの<物語>が君を救うんだ」とかの抑圧性欲電波をクラスの後ろで発してるヤツのことだな。全然違いますねコリャ。ところで昨日しのざき嶺のマンガを読んでいたら浅田某に似た男が出てきて(自粛)。

おにいやんはきょうびのおんなのこのゆうことはよーわかりゃしやせん。あ、花山薫というメガネ男子のことならわかるぞ。スーツ、メガネ、フンドシ、暴力、握撃。数えて三倍満ってトコですかねー、姐さまがた!

変態繋がりでもう少しお話を。ジェンダーフリーというと「正しい変態」ぐらいにしか理解していない私からしても『新・国民の油断』は駄目な本でした。でも読むべきところはある。

八木秀次はP.197で以下のようにいう

 この点(保田注*永田洋子が自らの女性性を抑圧して「中性の怪物」になろうとしたこと)に関して、大塚英志氏が『「彼女たち」の連合赤軍』(角川文庫、平成十三年)の中で、「ファッションから性的身体に至るまで、すべての女性性全体の否定という形に集約された」と指摘していますが、まさに連合赤軍は、女性の女性性を否定し、男性の男性性を否定する。男である前に、女である前に革命戦士でなければならないと求めたのです。
 この思想が進化を遂げてジェンダーフリーとなり、冷戦後に、全共闘世代が社会の実験を握る世代となって一般化していったのではないかと思います。

いっていることはわからないわけではないが、『「彼女たち」の連合赤軍』ってそんな主旨の本だっけ?

西尾”メガネ男子”幹二はあとがきで口ずさむ

ただの田舎の小金持ちをかき集めて「保守だ」と称している、バックボーンのない日本の保守―――最近の中央財界人も似たようなもの―――には私はほとほと呆れているが、私は彼らとは違い、国家の屋台骨が白アリに食い荒らされているような現下のこの事態を、黙って看過してしまうというわけにはどうしてもいかない。

(強調は保田による)
ジェンダーフリーの「政治」性をぶった斬った刀で、自分たちの「政治」的基盤まで斬っちゃいますか、先生!

自由主義史観」を掲げる彼らの「自由」とはおそらくこのような性向を指すのではないか。「政治」を省みず、乱暴で奔放でFlippantな彼らの行動に私はベタ惚れです。いち変態として。