捨身地代

卒論が終わったのでブログってのを始めることにする。ゆくゆくはHPを開きたい。童顔巨乳M女をはべらせたい。今は灯油が欲しい。

大学のあいだに、周りの世界も変わったもんよ。コンビニはピンサロになった。回転寿司は不動産屋に。ファミコンショップはレストランになった。昔は流行ってた「王将」の隣には教会がたった。

でも、てめえってのは全く変わっていない。
かつての神童たちは工場とビデオ屋で働いている。好きだった女の子はスーパーでレジを打っている。足の痛みに悩まされながら、彼氏の甲斐性の無さを嬉しそうに嘆いている。

卒業の論文はナショナリズムを虫の眼で見て書いた。大月隆寛は『あたしの民主主義』(毎日新聞社、2000年)のなかで岩下俊作『青春の流域』という小説に触れている。

『青春の流域』という自伝的小説に、昭和初年、折からの恐慌に発した不景気の中、悶々とする北九州の若者たちの描写が出てくる。学校は出たもののろくな仕事もなく、志に反して製鉄所の製図工や飲み屋の主人になって口に糊する彼らが、一時の酒にその憂鬱をまぎらしながら、誰かが思わず口にした「戦争」ということばに、みな電気に撃たれたように反応する。

「戦争!いいなあ、にやけたモダンボーイが消えて了ふだけで気色がいい……」

私はこの文章に強いものを感じる。市民(まさかブルジョア!?)を自称するやつらよりも。宗教への批判は現実への批判へと転じなければならない。ビルゲイツは「共産主義者め!」という感じのことをいった。

俺のモニタは「現代」だ。文句あっか。(ツカミはこんなモンっすかね。)